勝手に思ったこと感じたことに偏重した日記ブログにするつもりです。
勝手に思ったことを好き勝手に書く、ここが大事。
クッサい内容であることは自覚してます。



ツイッターについ書き込みたくなること、一度思いとどまってここに書くつもりです。
自分の考えをまとめるための日記ですが、あくまで「人に読まれる」と意識して書きたいと思います。


忙しくて更新できてない><
三日坊主にしないって誓ったのに。

あすかあさってかしあさってにこうしんします。
誰も見てなくても、自分を律するための目標だからがんばります。 

ゲームの選択肢の話



最近のゲームで多いのが、会話の選択肢は出るけど意味はないってやつ。
サンムーンではかなりの数が目についた気がします。

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こういうやつね。
会話の派生は生まれるけど、進行に全く関係ない部分でしか選べない。
しゃべらない主人公が会話しているように見せるための策だと思うんだけど…

めちゃくちゃ逆効果だよね!



なぜならこれはRPGゲームだから。
プレイヤーが主人公となって、ゲームを前に進めることがRPGゲームの楽しみ方だから。

ゲームの進行に関わらない部分はゲームをしないないことと同じなんです。

会話によって好感度が上がり、ゲームの進行に関わるなら…この選択肢は多いに意味をもたらしますが。



例えば、
【リーリエを連れて行こうとする大人の前に立ちはだかってリーリエを助ける】
という行動を主人公が取ったとき…


なんの違和感もなく、僕たちはバトルパートに進めるはずです。
「え、勝手に戦うなよw」「俺はこんなことしたくないぞw」なんてことには絶対ならない。


だって、物語が進めることがRPGゲームの進め方。


わざわざ選択肢がなくとも、僕こと主人公の行動はプレイヤーの行動そのものなんです。
助けるという主人公の意思とゲームを進めるプレイヤーの意思が一致しているんです。

それが"ロールプレイング"じゃないでしょうか。


そんな折に、
「A:リーリエを離せ」
「B:リーリエが嫌がってる」

という明らかにゲームの進行に関わらない会話選択肢が出ても何も意味がない、


むしろせっかくゲームが進む場面で腰を折られる感覚、
そして主人公の行動がプレイヤーとは別のところ…製作者の都合のような感覚、


を僕は覚えてしまうんです。



最近のゲームの作り手はとても丁寧にゲームを作ってくれます。
グラフィクが綺麗になった分、つい「リアルさや整合性」も高くなければいけない気がしちゃう…
そんな部分があって丁寧にならざる得ないのでしょうか。


そんな丁寧なゲーム作り、主人公が行動する意思や理由を明確化しているゲーム作りが、
逆にプレイヤーの意思と主人公の行動を引き離しているんではないでしょうか。




旅に出る理由が特に存在しない「ポケットモンスター赤緑」だって
僕たちはなんの戸惑いもなく一番道路から旅立ったはずだと、僕は思っています。

ダブルレートの話


たまにはポケモンの話題。

最近ポケモンモチベが再加熱して、ダブルレートに潜ってました。

貝殻の鈴をもたせたフラージェスと共に。

 スクリーンショット 2018-10-03 22.55.46

わーい、最大目標の1800達成!順位的には暫定20位ぐらいです。

以前トリプルバトルで失敗したギミックが、トゲデマルの出現で実践級になったのでは?
と思っていたので実際にやってみました。


頑丈木の実ジュース→共生貝殻の鈴で、安定したがむしゃら連打を可能に…って構築です。
取り巻きは好きなポケモンの中から先制技持ちをピックアップしました。


詳細は後日なにか記事のような形にしたいけど、まずはとにかく楽しかったです!


240戦ほどやっても、全く飽きずに戦えて、
毎試合のようにいつもと違う勝負どころや特殊な勝ち筋が生まれてた気がします。


飽きるどころか、試合を重ねるごとに良い立ち回り方が理解できるようになって
もっと潜って戦いたい!と感覚がありました。


ひっさしぶりに見栄えの良い実績?残せたし、
好きなポケモン(フラージェス以外)で結果残せたし今回は大満足です!


WCSにも挑戦したいな、って最近思っています。

もしミュウツーが捕まえられたら…って思って試しにやってみたワープライドで


ミュウツーが一発目から現れたから。
しかも、4V1Uでおおよそ理想個体。

そしてその後テテフ捕まえに行ったら、
2匹目で3V2UのA0個体がゲット出来たから。



これはなんか運命だな、と思ったのでテテフミュウツーの構築でWCSに参戦と思います。
あとはどうやってホルードあたりの好きなポケモンをガチレベルまで仕上げるか、ってところですね。



(株)マリカーには「人様のもので金儲けしてんじゃねえよ!」という反発を若干覚えてます。
きっとみんなもそう思ってるのかなと思います。


ただやってることは、同人誌とかも人のこと言えたもんじゃないのでは?
マリカーには外国人の観光の目玉にもなっている実益もある。
正直楽しそうだし危険度踏まえても存在しててもいい遊びかもと、僕は思っています。


確かに(株)マリカーは、任天堂の商標を勝手に利用してて、
「築き上げてきたゲームの地位をぶち壊す危険性がある」「任天堂の権利を侵害している」
という言い分は確かに正しく、反論するにもぐうの音も出ないです。


任天堂が訴えていることは、全くもって正しいことです。
だって彼らのビジネスにとって、(株)マリカーが損害につながる危険性が実際にあるわけですから。



でも、正論に従って全ての不義や危険を排除すると世の中の娯楽は一気につまらなくなるはず。
正論は確かに正しいけれど、世の中全体の実益に直結しているわけではない。

僕らは任天堂ではありません。一個人です。
本当にマリカーは僕らに不利益をもたらしているのでしょうか?
正論に目が眩んで、僕たちは(株)マリカーの存在意義が見えていないだけなのかもしれない。




以下、(株)マリカー騒動を踏まえて僕が思うこと。


みんなの総意や気持ちに流されて頭ごなしに批判するのじゃなく、
本当にそれが社会全体への悪影響・もしくは自分個人への損害につながっているのか、
それを考えた上で物事を判断していきたいなあ…って思います。



ちなみに身もふたもない話すると、
街中でマリカーしてる人に対して「俺より人生楽しんでる…クッソ」という反感は結構あるので
実際にマリカーの現場を目にすると正直ちょっと不快です。
僕にとっての「(株)マリカーがもたらす不利益」はそんなところ。



森永製菓「チョコフレーク」が生産を終了へ 2019年4~6月ごろ


またひとつ、お菓子界の雄が消えていく…。


大人になって、お菓子をあまり食べなくなったのは確かなんだけど
子供の時感じてたお菓子の喜びとは、ちょっと違う喜びがあるよなあと感じてる。


子供の頃は「お菓子は美味しい」と単純に味がお菓子の価値だった。
今は少し違う。ただ味を楽しむだけじゃなくて、

「ご褒美感」「背徳感」「懐かしさ」

そういった食欲以外の感情・喜びを楽しんでいるような気がする。
今の僕にとってのお菓子はそういった喜びを食べる、そんな食べ物のようにさえ感じてる。


子供の頃はただ美味しくて美味しくて食べてたお菓子。
今は美味しさ以外の価値を感じながら食べてることに、ちょっと大人になった気がしてる。


特に昔好んで食べてたお菓子は
味だけではない、今の僕にとってとても大きいな価値のある食べ物だと思う。



チョコフレークがなくなるこの悲しさは、単なるノスタルジックだけじゃない。



シングルに潜って10−1ぐらいで勝ってたときは
「シングルおもしれえなw」

ってなってたけどそっから収束して20−20の1400台になった時、
「シングルってつまんねえな」と思うようになった。


勝つって面白いかどうかのいちばん大事なことだとつくづく思う。


ただ、シングルに関してはプレイヤーにとって理不尽な勝ち負けってのが、割と多いんじゃないかな。
急所とか技外しは、それがポケモンだから仕方がないと思ってるんだけど…


シングルは「交換や技でジャンケンが発生して、結果どっちかが一方的に有利になる」ってことが多い。



わかりやすいのはリザYかリザXかで択が生じて、勝ち負け変わる時。
不意打ちか攻撃か択が生じる時。
交換読みするかしないか、で勝ち負けが決まる時。


他のルールだと「何が起きてもケアできるように、そもそも択が生じないように」
って対応がやりやすいけど…


シングルは状況がシンプル故に50%50%の勝負になることが割と多いんだよね。
割と多いっていうか、ほとんどの選択がこれに当てはまる。


結果的に、ジャンケンで不利を受けて理不尽な負けを感じることが多いのがシングルかな。


シングルは弱いポケモンでもチャンスがあるし、
いろんな構築・技・プレイヤーを楽しめるルールだとも思ってるんだけどね。



勝つときに感じる面白さが台無しになるぐらい、負けのつまらなさがシングルは大きい…
と個人的には感じてる。




テレビはつまらない!

と思ってる人はたくさんいると思う。特にネットでは。
一般的にも最近のTV番組は不人気・低視聴率だし、確かにつまらないという意見は正しいのかも。


昔はテレビは面白かったはずなのに…。



じゃあ、「面白い」ってなんだろう?


今回はそんな話。


僕の想う結論から言っちゃうと
基本的な“面白い”は「期待に応える」その一点に集約されると僕は考えてます。


例えば…クラスの面白いやつが放った一言に僕らは笑うだろう。
例えば…クラスの嫌味なやつが放った一言に僕らは笑うだろう。そいつが居ないところで。



その一言が、全く同じだ言葉だとしても…


僕は好きなやつ面白いやつの言葉には心から笑うし、
嫌いなやつの言葉にはまったくもって反応しないだろう。むしろムカつく。



応援してる選手がホームランを打つ。
映画のヒーローが悪役を打ち倒す。
ゲームで用意しておいた罠に相手がうまくハマる。

面白いとおもってるやつが面白いことをやる。


期待が現実になったその瞬間、
僕らの心は喜の方向に大きく振れるんだと思う。



もちろん、想像を裏切る面白さも世の中にはあることはみんなが知ってること。

でもそれは「ここから何か面白いことが起きる!?」という期待に応えた裏切りだからこそ。


つまらないと思いながら観る映画は
どんな予想外の展開になっても「全然面白くない」って感じるんじゃないかな?




じゃあテレビが面白くないと感じるのは?
そう、テレビに僕らが期待していないから。



みんながテレビに齧りつくように視聴して、クラスがテレビの話題でもちきりだった時代、
テレビはクラスの人気者だった。だから面白かった。



ネットっていうメディアが出来て、テレビは若者にとって唯一無二のメディアじゃなくなった頃。
テレビは以前ほどの絶対的な人気はなくなり、期待の対象から少し離れ始めた。



そうしたらもう、テレビの凋落は歯止めが効かない。
「以前ほど面白くないな」→「あまり面白くないな」→「面白くないな」→「つまらないな」

期待の低下は、期待のさらなる低下を呼び起こしていったんじゃないかと僕は思ってる。


ここまで来ちゃうとテレビはダサい存在、時代に遅れた存在、嫌いな存在にまでなってしまう。
テレビが以前と同じ事をやっていても、もう見る人の反応が違っているってことだろう。



マイナス印象のやつがやる面白いっぽいことは、一番不快に感じちゃうもんだ。






今の子どもたちが齧りつくように観るユーチューバーも、
好きじゃない人からしたら「実にくだらない、価値のないコンテンツ」に見えるだろう。


でも、いまの子どもたちにとってユーチューバーこそ最高のエンターテイメント。
彼らにとって「なにか面白いことをやってくれそうな存在」がユーチューバーなんだろう。


20年ぐらい前…テレビがいたその場所に、いまユーチューバーがいる。



クッパ姫なるものが今現在、ツイッター界隈を賑やかしてるようです。

別にケモナーとか擬人化とかホモとか何だとかは僕はどうでもいい。
ただ、流行りに乗っかる彼らの精神が、僕はものすごく気にくわない。


もともと僕らオタクは、みんなが「イケてるね!」とちやほや盛り立てるものではなく、

自分が本当に好きなものを自分の感覚で選んできたはずです。
多数派に惑わされず、個人の趣向にこだわってきた。そういったものが僕らの根本にあったはずです。


だからこそオタクがオタク界隈で
「流行ってるかどうか」で物事判断することにかなり抵抗感を感じています。



オタクのくせに。



君たち、実は元々マイノリティな思考を持っている訳ではなくて…
イケてる連中になりたくてもなれなかったから、
オタク界隈でイケてる人になろうとしているんじゃないですか!?




僕はそういう強い反感を覚えてしまうんです。


ポケモンを再開したので、せめてこっちだけでも更新進めますね!
これは宣誓に近いのです。自分が三日坊主にならないための・・・。

けつばんレポートに対して、こちらの裏ブログは
「普段思ったことをツイッターに書き込むんじゃなくて、こちらに書いて文章化・アーカイブ化する」
って言う自分のためのブログにしたいと思います。

まさに日記。


そのうちけつばんレポートの方も更新していきたいね。
とりあえずは三日坊主にならないことだけ意識して始めまーす。

世の中には”正しい論理A”と”正しい論理B”が同じ事柄の中に共存していることがよくよくあります。

例えば…
「児童ポルノは欲望を加速させる、犯罪への入り口。」
「児童ポルノは欲望を発散させる、犯罪への抑止力。」


どちらが正しくて、どちらが間違えているのか…
ちゃんと客観視したら「論理的にはどちらも正しい」って言えるはずです。

でもぼくらは普段物事を「こっちが正しくて、こっちが間違い」としっかり判断しています。
その人それぞれの基準で論理の正否を判断してる。


それが『感覚』ってやつなのかもしれません。
世の中に有る物事の判断基準は”論理”ではなく”感覚”だ、っていう僕の持論です。


感覚が異なる人なんて世の中にはザラに居るんですが、
Aさんにとって感覚が異なるBさんの意見は「間違えた論理」になってしまうんですね。

感覚なんて人それぞれで大きく違うので、
他人の意見を簡単に「間違い」「馬鹿」なんて言わないように気をつけたいと思います。


特に感覚の違う人の意見を”論理的”に否定することは一番危険かも知れません。
ツイッターだと論理に訴えた否定リプを送る人たちが多くて、
結局噛み合わずお互いイライラしあってる人達が多いなあって思う僕です。

小学校のシャーペン禁止は実に理にかなっていると思う。

鉛筆を使うことで、もしかしたら子供の未来の可能性が開けるかもしれない。

美大への進学、書道家への道、鉛筆を削る道具を作る研究家、
トラックで丸太を運ぶ仕事や黒鉛の採掘など、鉛筆は子供の未来を広がる可能性に満ちている。

RPGのお店

ゲームにはプレイヤーの自由度が大事だと思います。

僕自身、ポケモンやサガシリーズ・聖剣LoM、タクティクス系など
自由度重視のゲームばかり偏重して好んでいることは承知しており、
けして皆が自由度万歳なプレイヤーばかりではないのも事実です。
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でも…やはり自由度はゲームの大要素だと感じるのです。

そんな「自由度」って一体何なのでしょう?
この話題はゲーム界隈では何度も何度も議論され、答えの出ていない課題だと思います。 

 
そんな難しい「自由度」について、僕の思うとこを書きなぐります。
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さてさて、自由度とはよく「選択肢の多さ」に関連付けられます。

簡単に言うと…
道具屋・武器屋・防具屋しかない街より 
40種類の施設が有る街のほうが自由度が高い、と言う話です。


もう僕のひねくれ精神を理解いただいてる方なら感づくでしょう。
僕は「3つの店しかないほうが自由度高い」と言いたいのです。


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3つの施設しかない場合、それらの役割がハッキリと明確に分かれています。
「道具屋で薬草を買う」「武器屋で強い剣を買う」「防具屋で守りを固める」
どれを選ぶか、何を買うか…ハッキリとプレイヤーが選べるのです。

ここに自由があります。

自由とは選択の分岐数じゃありません。
「僕は僕自身で選択し、そして利益を得た」という感覚こそが”自由”なんです。

防御が高くなって助かった!
薬草多めに買っててよかった!
強い剣があって攻略が楽だ!

この「利益を得た」感覚がとにかくすごく大事。
この感覚があって始めて、選ぶ喜び・自由の喜びを感じることが出来るのです。

選択肢が少ないからこそ、選んだ結果の違いがはっきりして「自由」を感じるわけです。



逆に…
選択肢が多く明確な違いがわかりにくい、もしくはトントンに思える場合、
プレイヤーは選択の喜びを感じにくくなります。

A・速さも威力もそこそこな剣
B・威力は低いけど軽いナイフ
C・遅いけど威力が高い斧
D・強いけど魔法が弱点の槍


E・軽くて攻撃力も増す道着
F・重いがとにかく硬い全身鎧
G・速度重視のローブ
H・魔法防御の上がる法衣


初めは楽しいでしょう。初めは選ぶ喜びを感じるでしょう。

でも…


「結局どれ選んでもあんまり差がないな」
「みんな同じような強さじゃねえか」


選択の分岐を増やし、かつどの分岐でも一定の益を得られるようにした場合…
上記のように選んだ違いを感じにくい現象が生じてしまいます。

僕はけして、「選択肢を増やす」ことを否定しているのではありません。
選択肢を増やせば…結果の利益が見えにくくなる危険性がある、と言いたいのです。

そして、利益を感じにくい選択肢=「選ぶ自由」の喜びに欠けるのです。 



選択肢を増やしつつを回避する方法はあります。

「1つ選べば、できないことが生まれる」という強引な方法です。 

それは資金なり素質なりで強制的に制限するのも良し。
「使わなかった店は潰れる」「二者択一のイベント」などで
「選ぶ」感覚を一層強くするのも良し。 



「出来ないことがある」
哲学的な言葉になりますが、自由度を感じるにはこれが重要なのです。 



1.速くて強いけど魔法喰らえば即死の槍使い
2.魔法剣士は強いけどMPがすぐ尽きて役立たずになる
3.とにかく殴るだけのバーサーカー

なんだか自由度を感じませんか?


ザクっとまとめると…
自由度とは
「分岐・選択肢の多さ」ではなく
「違いを感じる場面の多さ」
というのが僕の持論です。



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やはり、象徴的なこの場面にはハッキリとした結果の違いが有るのです。


選択肢を増やして自由度を強めたい場合は、
増やした分だけ違いを作る。
損益の要素を増やす。

 これが鉄則だと思います。


槍という選択肢を増やす場合は「リーチ」と言う明確な違いの要素を増やし、
斧を作れば「重量」の要素、弓を作れば「使用回数」の要素を…。

こんなことをどんどんやってれば…出来ないことばかりのストイックなゲームが完成しちゃいますね。
(アーマードコアかな?)

むしろ選択肢が少ないほうがちょっとした差でも差を感じる 
ちょっと皮肉めいた話なのです。
カテゴリ:

ラビット・ファイア―

ラビットファイアーとは
エアガンの機構の一つで、引き金を引いたままコッキングレバーを引く事で速射が可能な機構。

つまり…
高火力の揃ったウサギポケモン統一で止まることのない怒涛の攻勢を仕掛けよう、
というコンセプトのPTになります。

本家ブログで書き前にこちらで雑記。


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本当はけっこう以前から構想してたんですが、ようやく完成。
完成と言いつつ、サブROMで試行のレートに潜りました。


20戦やって12勝8負けって感じのところ。

面子はかなりの強ポケ揃いなので…もっと勝てるはずなんですけど
あと一歩のダメージレースに負ける感覚です。


とりあえずメンバー雑感↓

ホルード :横取り要因のこいつが駄目駄目。H振りなのに弱点耐えてくれない。戦犯。
      こいつを活かす方法が全く見当たらない。PT的に地震が撃てないのが致命的。

ミミロップ:猫やお先にどうぞでパーティーを動かす役。とっても重要なポジション。
      A振りにしてるけど、サポートのほうが重要だったのでH振りに変えようと思う。

マリルリ :本来はホルードと似た火力のはずが、段違いの活躍。タイプの差を見せつけた。
      晴れるとかなり辛いけども、鉢巻ならば悲しくはない程度の火力を発揮してくれた。

ニンフィア:流石トリプル最強。とりあえずの圧力としてメインの活躍。守るも強かった。
      詰め性能期待しての瞑想食べ残し型だったけど、火力不足が目についた。

ニドキング:広い技範囲で多数の役割をこなしてくれた。火力は足りないけど、重要な立場。
      ニドクインのヘドロウェーブを1/4にする点も非常に好印象だった。

ニドクイン:球ヘドロウェーブが強かった。大地の力との補完も抜群。警戒薄いのも評価点。
      思ったより耐久値には期待できなかった。なんとか一撃は耐える程度。

 
あとすこし耐えれば…あと少しダメージあれば…
またこれも乱数負けかなあ、と思えるほどにギリギリの試合が多かったです。
正直なところ運さえ乗れば1700は余裕でいけそう。
巧い人なら1800近く行けるんじゃないかな?

もう少し試行重ねて、本格始動しようと思います。

トリコロール

私生活が忙しいので更新が少なくなっちゃいました。
最近話題になってることといえば、

パリでのテロ攻撃で市民150人超が犠牲になった事件。
http://www.cnn.co.jp/world/35073496.html 
まずは犠牲者の方々に哀悼の意を表します。


今回雑記として書こうと思ったのは、
FBにおけるトリコロールキャンペーンについて思うことがあったからです。
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僕の雑記何度か目にしてくれた方なら感じてもらえると思いますが…

僕は「共感」型のキャンペーンがすごく苦手です。
ハロウィンの盛り上がりとか「絆」とか。
Twitterなどの炎上やネットの集団攻撃も、同じ「共感」的な行動だと思います。



共感するってことは人間にとって生物の根本に関わるほどすごく重要な感情です。(特に女性にとって)


だから、共感を大事にする、そして言葉や行動で共感を表現する行為…
まさに今回のように「プロフをトリコロールにする」ってことがすぐに出来る人は
他者とコミュニケーションすることを何より大事にする社交的な人が多かったりするんだと思います。

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で、前置きしたように僕は「共感」がとっても苦手。
いわゆるコミュニケーション障害っぽい面が有るわけなんですよね。
苦手なだけなのに…たったそれだけで人生大きく損をすることに
チョット不満や哀しさを感じたりもします。



そういう思いが以前からあったので、
震災に関係の薄い人が「絆」の旗印で行動することや
ハロウィンで大いに盛り上がる行為に関して…
「僕は苦手」と思うことはあっても、けして否定はしないようにしていました。
こういうことを批判したがる人たちは「共感ができないことの妬み」も有るんだろうなと言う考えも少し有りますので…。



一方で今回のトリコロールのキャンペーンでは
単なる共感ではすまされない「違和感」を強く感じてしまいました。



今回の事件、その鎮魂は…ハロウィンなどとは違って
「哀しい悲劇的な」出来事であるという点です。


他者の不幸を共感のツールにして良いのでしょうか?



僕が引っかかっているのはその1点です。


・市民が犠牲になっているのはパリだけじゃない
・欧米の主張に加担している
・追悼の意をわざわざ形にするな
そんな批判も目にしますが、僕はそこはあまり重要とは感じていません。


ただ、余りにもカジュアルに「哀しみを共感」する行為に
共感さえ出来ればなんでもいいのか?という思いを持ってしまいました。

もちろん、強い遺憾があっての行動だったりする方も多々いらっしゃるでしょうし
哀しみを共感すること自体を否定したくありません。


今回のキャンペーンに関しては、「共感のツール」と表現したように
少し軽すぎる、カジュアルすぎるなと感じる部分があったので
こういった雑記にまとめてみました。

何度も言いますが、けして否定はしません。
でも、やっぱり「笑顔で幸せなプロフィール写真」の上にトリコロールを乗せるのは
やっぱり違和感があるなあと思っている、今日このごろです。

 

オフ会

僕の初めてのオフ会は「噴火杯」を午後から見学したあの日。


僕の想像してたオフ会
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実際のオフ会
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正直戸惑いがあったのは否めない。
ドア開けた瞬間、すぐに帰ろうかと思ったぐらい。 



運営してる人・参加してる人を批判するわけではなく…
 
これで良し、500円規模で良し、としてる文化にびっくりしたわけです。
 

500円でオフ会開くなんて、本当は↓みたいな場所でも仕方がないですよ。
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1人3000円ぐらい余裕で払っていいから、レンタルスペースとか使おうよ。


貸しスペースじゃなくとも、大学学食とか、飲食店とか、
モールとかデパートとか新し目のコミュニティセンターとか
綺麗なスペースレンタルしてる所なんていっぱいあるよ?
 
 
ドリンクバー付きの場所とかだって探せば有るよ?
開放的な気分になれる場所のほうが楽しくない?



若者なんだから、もっと若々しく行こうよ…。
もっと趣味娯楽に金使おうよ…。


オフ会とは元来こういうものなのかもしれませんし、
運営している人たちの葛藤・苦悩を知らない人間だから言えることですが…


空間演出って凄く大事。
僕はもっとワクワクする空間でポケモンやりたいです。 
 

楽しかった。

1勝5敗で負けまくった。

フレ戦のToTとマルチ楽しかった。

ちゃんこ食った。

頻尿なのでおしっこ20回行った。

1週間で20時間寝ていないってほどに忙しいのでオフレポ書けない。

トリプルこそ僕の主戦場なので
 いつかトリプルオフにも参戦したい。 

先日、有名配信者(動画投稿者?)が改造バレしちゃったようで
Twitterが盛り上がっておりました。 

無関係なのに野次馬となって一緒に盛り上がってた僕は
完全スルー されている穏便な方々と比べ、やはり荒れる話題好きなんだなと思いつつ…

こういう機会は「ものの考え方」を意識するきっかけになるので
正直嫌いではないです。 いえ、好きです。


さて本題ですが…
改造ってポケモン配信やポケモンを辞めなければ
ならないほど罪なことなの? 

って僕は感じています…。
とりあえずTwitterで誹謗中傷の的になって人格批判までされるほどの罪では無いのは確かです。


相手の見えないネットゲームであること…レートという公式の遊び場を利用していること…
ユーザー間でコンテンツを良化していくためにルール厳守は必須ですが、

「おい!なにやってんの!」って怒られて、ちゃんと謝って一時レートから排除、
しっかり反省すれば許してもらえ程度のものだと僕は思っています。


些細な事は許し合うこともコンテンツ良化に必要なんじゃないでしょうか?


けしてルール違反を容認するつもりではありませんが…

一度やってしまった罪を重大なことと捉えて人を追い込み傷つけるのは
彼のルール違反以上に罪なことではないでしょうか?


罪を憎んで人を憎まず、とポケモン勢には言いたいです。


今回ポケモン界隈の「改造」に対する攻撃性はあまりにも凄惨だな、と怖く感じたので
考えまとまっていないにもかかわらず今回の文章書きました。



ちなみに彼、フなんとか君を擁護する気が一切ありません。

他人の改造は強く批判し傷つけておきながら 、自分も改造をやっていた彼は
僕の考える最低のポケモントレーナーだと思えるからです。 

ついでに僕も改造は一切やることはないでしょう。そもそも準伝使うことがないのだから。



ポケモンを心から楽しむために自分はルール守って改造しないけど、
改造しちゃった人はちゃんと注意して、反省すれば許してあげる…
 
そんなこと、子供だって彼らの遊びの中でやってることですよね。

亀田3兄弟

割と好きでした。
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過去形なのは、長男が引退を発表したから。

印象の悪い彼らですが、血を吐くような努力していたのは間違いがなく、
才能も十二分にあったわけです。

 
僕は「世の中努力は 評価されず、才能が評価される」と思っています。
彼らが世間から嫌われていたのは、態度の悪さが大きな要因ですが、
もう一つ才能が届かなかったのも要因のひとつだと思います。


彼らの試合は意外にも華がなく、試合巧者である面が強く
才能を感じにくい内容でした。

実際、一番才能を感じさせてくれた三男は割りと好かれていたと思います。
(最も才能に劣って見えた次男は特に蔑まれていたような) 
ひねくれものの僕は、彼らの才能より努力を評価し、
結果を出してもらいたいと思っていたものです。 



長男の亀田興毅が引退し、事実上彼らの物語はこれで終幕へ至ることになります。 
時代の流れ、年月の経過を感じ寂しいのと同時に

改めて彼らのことを持て囃し、そして蔑んだ僕達一般世間の罪について考えさせられています。

 
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デザインってなんだろう

ってことを以前講義で学んだことがある。


(工学的な意味での)デザインとは「アイディアを生み出すこと」ではなく
「目的を実現する形を生み出すこと」だ、って感じのことを教わった。 

アイディアはその過程で生まれてくるものなんだって。


例えば、
鐙(あぶみ)っていう馬具。
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鐙が生まれる以前は、足の筋肉で無理やり馬を締め付けて身体を固定していたらしい。
背の高い馬への騎乗は難しく、乗馬自体が訓練した貴族だけの技術で(逆にそれがステータス)、
速度も出せないし、馬上で激しい動きも不可能だったわけ。

汗血馬に乗れた関羽や呂布はそれだけで凄いってこと。
(しょぼい武将はロバに乗ってるようなもん。そりゃ疾いわ。)
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実際には三国時代、鐙はまだ発明されていないとのこと。その100〜200年後ぐらい?


ところが鐙たったひとつの発明で、
大型馬への騎馬でさえ誰しもが少しの訓練で可能になり
それまでとは比較にならないスピードで駆けることが出来、
両手で武器を振り回しても(有効かどうかはさておき)大丈夫なぐらいの安定性を得たとのこと。


鐙という発明は、とんでもなく優れたデザインだということです。
むちゃくちゃアイディアマン!

僕の大好きな漫画ヒストリエの主人公もこれを思いつく描写あったけど、あれは創作話の模様。
あの漫画の中でも特に好きなエピソードのひとつ。

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でも、実際に鐙はヒストリエでの描写のような
「天啓のようなひらめき」で生まれたものではないと思う。 


どうすれば「一人で簡単に騎乗し、馬上で安定できるような道具はないか?」
という目的がまずあったはず。
目的を実現するための形を創造していく過程で
【両脇に踏み場を吊るす】という「アイディア」「閃き」が生まれたというはず。



いちおうポケモン中心のブログなんだからポケモンの話題にすると…

天才的な構築や見たことのないギミックだって、
閃きで生まれてくるものはあまり多くないということにつながってくる。


「どうすれば〇〇を対策できるのか」「どうやってこの技を活かそうか」
そういう目的がまずあって、そこにピースを当てはめていくことが
殆どの方々のパーティーメイキングのはず。

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http://blog.livedoor.jp/katushy/archives/30312520.html
かちゅーしゃさんのマークーダが生まれる理由の記事読んでも解るように
ヤバいギミックも「目的」があって初めて「アイディア」が生まれてくる。

発明は99%の努力と1%の閃きって言葉もそう。


何を実現したいのか、どうやって実現するのか、
地道な推考を重ねた結果に「とんでもないアイディア」が生まれてくるんだと僕は思う。
 
カテゴリ:
written by nunicchi

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