私生活が忙しいので更新が少なくなっちゃいました。
最近話題になってることといえば、

パリでのテロ攻撃で市民150人超が犠牲になった事件。
http://www.cnn.co.jp/world/35073496.html 
まずは犠牲者の方々に哀悼の意を表します。


今回雑記として書こうと思ったのは、
FBにおけるトリコロールキャンペーンについて思うことがあったからです。
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僕の雑記何度か目にしてくれた方なら感じてもらえると思いますが…

僕は「共感」型のキャンペーンがすごく苦手です。
ハロウィンの盛り上がりとか「絆」とか。
Twitterなどの炎上やネットの集団攻撃も、同じ「共感」的な行動だと思います。



共感するってことは人間にとって生物の根本に関わるほどすごく重要な感情です。(特に女性にとって)


だから、共感を大事にする、そして言葉や行動で共感を表現する行為…
まさに今回のように「プロフをトリコロールにする」ってことがすぐに出来る人は
他者とコミュニケーションすることを何より大事にする社交的な人が多かったりするんだと思います。

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で、前置きしたように僕は「共感」がとっても苦手。
いわゆるコミュニケーション障害っぽい面が有るわけなんですよね。
苦手なだけなのに…たったそれだけで人生大きく損をすることに
チョット不満や哀しさを感じたりもします。



そういう思いが以前からあったので、
震災に関係の薄い人が「絆」の旗印で行動することや
ハロウィンで大いに盛り上がる行為に関して…
「僕は苦手」と思うことはあっても、けして否定はしないようにしていました。
こういうことを批判したがる人たちは「共感ができないことの妬み」も有るんだろうなと言う考えも少し有りますので…。



一方で今回のトリコロールのキャンペーンでは
単なる共感ではすまされない「違和感」を強く感じてしまいました。



今回の事件、その鎮魂は…ハロウィンなどとは違って
「哀しい悲劇的な」出来事であるという点です。


他者の不幸を共感のツールにして良いのでしょうか?



僕が引っかかっているのはその1点です。


・市民が犠牲になっているのはパリだけじゃない
・欧米の主張に加担している
・追悼の意をわざわざ形にするな
そんな批判も目にしますが、僕はそこはあまり重要とは感じていません。


ただ、余りにもカジュアルに「哀しみを共感」する行為に
共感さえ出来ればなんでもいいのか?という思いを持ってしまいました。

もちろん、強い遺憾があっての行動だったりする方も多々いらっしゃるでしょうし
哀しみを共感すること自体を否定したくありません。


今回のキャンペーンに関しては、「共感のツール」と表現したように
少し軽すぎる、カジュアルすぎるなと感じる部分があったので
こういった雑記にまとめてみました。

何度も言いますが、けして否定はしません。
でも、やっぱり「笑顔で幸せなプロフィール写真」の上にトリコロールを乗せるのは
やっぱり違和感があるなあと思っている、今日このごろです。