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カテゴリ:ゲームの話

RPGのお店

ゲームにはプレイヤーの自由度が大事だと思います。

僕自身、ポケモンやサガシリーズ・聖剣LoM、タクティクス系など
自由度重視のゲームばかり偏重して好んでいることは承知しており、
けして皆が自由度万歳なプレイヤーばかりではないのも事実です。
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でも…やはり自由度はゲームの大要素だと感じるのです。

そんな「自由度」って一体何なのでしょう?
この話題はゲーム界隈では何度も何度も議論され、答えの出ていない課題だと思います。 

 
そんな難しい「自由度」について、僕の思うとこを書きなぐります。
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さてさて、自由度とはよく「選択肢の多さ」に関連付けられます。

簡単に言うと…
道具屋・武器屋・防具屋しかない街より 
40種類の施設が有る街のほうが自由度が高い、と言う話です。


もう僕のひねくれ精神を理解いただいてる方なら感づくでしょう。
僕は「3つの店しかないほうが自由度高い」と言いたいのです。


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3つの施設しかない場合、それらの役割がハッキリと明確に分かれています。
「道具屋で薬草を買う」「武器屋で強い剣を買う」「防具屋で守りを固める」
どれを選ぶか、何を買うか…ハッキリとプレイヤーが選べるのです。

ここに自由があります。

自由とは選択の分岐数じゃありません。
「僕は僕自身で選択し、そして利益を得た」という感覚こそが”自由”なんです。

防御が高くなって助かった!
薬草多めに買っててよかった!
強い剣があって攻略が楽だ!

この「利益を得た」感覚がとにかくすごく大事。
この感覚があって始めて、選ぶ喜び・自由の喜びを感じることが出来るのです。

選択肢が少ないからこそ、選んだ結果の違いがはっきりして「自由」を感じるわけです。



逆に…
選択肢が多く明確な違いがわかりにくい、もしくはトントンに思える場合、
プレイヤーは選択の喜びを感じにくくなります。

A・速さも威力もそこそこな剣
B・威力は低いけど軽いナイフ
C・遅いけど威力が高い斧
D・強いけど魔法が弱点の槍


E・軽くて攻撃力も増す道着
F・重いがとにかく硬い全身鎧
G・速度重視のローブ
H・魔法防御の上がる法衣


初めは楽しいでしょう。初めは選ぶ喜びを感じるでしょう。

でも…


「結局どれ選んでもあんまり差がないな」
「みんな同じような強さじゃねえか」


選択の分岐を増やし、かつどの分岐でも一定の益を得られるようにした場合…
上記のように選んだ違いを感じにくい現象が生じてしまいます。

僕はけして、「選択肢を増やす」ことを否定しているのではありません。
選択肢を増やせば…結果の利益が見えにくくなる危険性がある、と言いたいのです。

そして、利益を感じにくい選択肢=「選ぶ自由」の喜びに欠けるのです。 



選択肢を増やしつつを回避する方法はあります。

「1つ選べば、できないことが生まれる」という強引な方法です。 

それは資金なり素質なりで強制的に制限するのも良し。
「使わなかった店は潰れる」「二者択一のイベント」などで
「選ぶ」感覚を一層強くするのも良し。 



「出来ないことがある」
哲学的な言葉になりますが、自由度を感じるにはこれが重要なのです。 



1.速くて強いけど魔法喰らえば即死の槍使い
2.魔法剣士は強いけどMPがすぐ尽きて役立たずになる
3.とにかく殴るだけのバーサーカー

なんだか自由度を感じませんか?


ザクっとまとめると…
自由度とは
「分岐・選択肢の多さ」ではなく
「違いを感じる場面の多さ」
というのが僕の持論です。



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やはり、象徴的なこの場面にはハッキリとした結果の違いが有るのです。


選択肢を増やして自由度を強めたい場合は、
増やした分だけ違いを作る。
損益の要素を増やす。

 これが鉄則だと思います。


槍という選択肢を増やす場合は「リーチ」と言う明確な違いの要素を増やし、
斧を作れば「重量」の要素、弓を作れば「使用回数」の要素を…。

こんなことをどんどんやってれば…出来ないことばかりのストイックなゲームが完成しちゃいますね。
(アーマードコアかな?)

むしろ選択肢が少ないほうがちょっとした差でも差を感じる 
ちょっと皮肉めいた話なのです。

ラストダンジョン

僕はたまに居るとされている
「RPGのラストダンジョンでエンディング見ず辞めるタイプの人」
だったりします。 

そうでない人からすれば、全く理解できないかもしれません。
けっして「終わるのが悲しいから」でもありません。
すべてのRPGでエンディングまで逝かないわけでもありません。

このゲームの、ゲーム性の底が見えてしまった。
 から飽きて辞めるです。


エンディング
ラストに近づくほど燃えたゲームは【大神】が最後かもしれない。


ストーリーに惹かれているゲームなら「物語の終着を知りたい」と思うわけなんですけど、
パーティーの育成やスキル・アイテムの収集がメインとなっているゲームでは
ラストダンジョンは「それらがほぼ完了した場所」になるわけなんですよね。


僕がゲームをやるモチベーションとして

これって育てたら強くなるのかな?(育成)」
「どんな強さ・効果があるのかな?(収集)」
もっと良い組み合わせはないかな?(試行)」

そういう「好奇心」が凄く大きいものであると感じています。
もちろん、それ以外のモチベーションがあるゲームも有りますが。


話を戻すとラストダンジョンあたりになると
パーティーが完成してワクワク感が一気に無くなる、

つまりゲームの底(天井ともいう)が見えて
好奇心が無くなってしまうわけなんです。


この現象、大人になってから多発しています。
こどもの頃はポケモン緑やゼル伝トライフォースとか何十周もやっていたのに…。
ゼルダ



とにかく僕は、「好奇心」ってやつをとても大事にしています。
今までもこれからも、好奇心は僕の中心にあり続けて欲しいものです。
 
written by nunicchi

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